雑念記~徒然なるままに毒舌

日々自分が考えたり感じたりしたことを徒然なるままに記し、己の思考の履歴を残していく。

変わらないことへの恐怖・変わることへの恐怖

動いているから大丈夫

銀行や官公庁を中心にいわゆるレガシーシステムが存在する。COBOLで書かれたコードやIEのみにしか対応していないWEBシステム、Java1.0とかVBでつくられたシステムが該当するだろう。

 

OSもWindows XP とかならまだ可愛い方で恐ろしいところはWindows 98 とかいう話も聞いたことがある。

 

これらの理由は客がバージョンアップ等にやたら慎重であることが大きい。システム開発の初めの方は、あれがやりたい、これができると便利、などと大風呂敷を広げる。細かい仕様も当然注文をつけてくるわけだ。「それくらいならちゃちゃっと修正できますよね~?」みたいなノリで。

 

しかし一度納品し、システムが稼働すると変更・修正のハードルは一気に跳ね上がる。変更管理やらあるし、その対応は保守の契約範囲なのかそうでないのかみたいな問題も絡んでくる。障害やバグがでたら当然対応や修正するのだが、それについても「どのシステムのどの箇所でこのような不具合があるため~」みたいな報告書を客指定のフォーマットで作成し、客の情シスの承認を受ける必要がある。(これは体験談)

日常業務を止めるまでもないような改修であれば、業務に使用していない時間、つまり夜間や休日にリリースすることになる。(これも体験談)

 

まあ、これらのことは別に問題ではない。動かないシステムをつくってしまった私たちの落ち度だ。それについて文句を言うつもりはない。それらの工数や料金は上の人たちがとりまとめてくれればいいし。

 

問題は「問題なく動いているシステムの改修を許容してくれない」ことなのだ。

 

バージョンは日々変わっている

例えばWindows 10 は2018年2月のWindows 10 と、2018年3月のWindows 10 はOSとしては同じだが、バージョンは別である。

環境というのはビルド番号やらリビジョン番号などと一致してはじめて同じ環境といえる。業務アプリレベルならそこまで気にかける必要はほとんどないが、システムに使われているもの――OSからスクリプトプログラミング言語、DBにいたるまで毎日のようにバージョンが変わっている。

 

もちろんDBのバージョンが例えば9.6.6だったものが9.6.7として提供されたからといってすぐにバージョンを上げるわけではない。バージョンアップはバージョンアップでそれなりにリスクのある行為だからだ。

だが冒頭に書いたようにいつまでもIE6とかJava1.0とか2.0とかでつくられたシステムを「まだ使えるから」という理由で使い続けるのもまたリスクである。この場合のリスクとは「何が起こるかわからない」という将来の不確定要素としてではなく、単純に危険という意味でのリスクとなる。

 

本来でいえばシステム保守とはこうしたバージョン管理を適切に管理・提案することがシステム保守において一番大事なことだったのではないだろうか。

それを単にシステムがトラブルなく動けばそれでいい、それがシステム保守だと考えている人が大勢いる。

開発時にはそれなりにできる人間を集めておきながら、保守のフェーズでは一気に人を減らして(しかもアサインされる人はお世辞にもできるとは言い難いような)いくSIerが多い。というか私がいた会社がそうだった

 

普通の企業だとサポート期間なんかを勘案しつつ、適切にバージョンをあげていくところが大半だ。化石化が進んでいるのは銀行系や官公庁絡みのシステムである。

法改正には対応していくのにバージョンアップへの対応は及び腰だ。

 

自動車なんて全然問題ないのに2年に1回は車検を受けなければならない。システムも同様に3年に1回くらいはメンテナンスとしてバージョンアップを行うことを義務化できないだろうか。きっと大手SIer'sは賛成してくれるだろう。3年に1回のバージョンアップと10年に1度の再開発によるリプレイスの義務化。

マニフェストにあげて立候補すればF通、H立、N〇〇あたりが票田になってくれるだろう。

 

変化が怖い

冗談はこれくらいにしておいて、実のところ変化を恐れてしまうのだろう。

何も「変化を怖れず前進あるのみ!」なんて蛮勇めいたことは言わない。変わることに恐怖や不安を感じることは普通のことだ。だがその普通をそういうものだと受け止めてしまうだけではいけない。不安を抱くのは当然として、その不安を不安のままに――いわば自然に湧き上がる感情をそのままにしておくことはどうなんだ。

 

最初に感じた感情を乗り越えなければならないときはある。面接やスピーチだって普通は緊張する。だけど緊張したまま(緊張という感情をそのままもったまま)その場面に臨むことはたいていの人はしないはずだ。深呼吸したりして緊張を和らげようとする。いうならば本能の修正というのだろうか。

 

せっかく理性ある人間なのだから感情に振り回されないようにしたい。感情的になってはいけない場面で感情的にならないようにしたい。