【祝】東京オリンピックの応募数が順調らしい
とりあえず頭数は揃いそう
2020年の東京オリンピックのボランティア応募数が8万人を超えたらしい。
これが大本営発表でなければ喜ばしいことだと思う。
だって人数が少なくて開催ギリギリになって企業やら学生やらを強制的に参加させなくてすむんでしょ?
そもそもどんなにやりがい搾取だと叫んでみても応募が集まることはわかっていた。東京の人口だけでもおよそ900万人超。で、目標が10万人ほどだっけ? てことは90人に1人が参加すればいいわけ。こんなん頭の弱い奴なら余裕でひっかかるくらいの割合だから早い段階で応募自体は集まることは予想しやすい。
このブログでは書いていなかったけど私としては学生とかに単位をエサにボランティアをさせようという動きを警戒していただけなのでやりたいという人が集まるのであれば別にいうことはない。
体には気をつけてね(心配しているわけではない)
応募者の年齢構成としては50代以上が最も多いようだ。それも当然だろう。2年後の予定なんか10代から働き盛りの世代が予測できるわけない。2年後暇だと自信もっていえるのは隠居した老人しかいない。
そもそも結構何かしらの大会のスタッフってけっこう年齢の高い人が多い気がする。この世代はボランティア精神が発達してるのか? だったら早急に病院代の自己負担増と年金の受給額減をもってそのボランティア精神を発揮してもらいたい。
それはそれとしてボランティア参加する人は熱中症とかで倒れて他のスタッフの迷惑にならなければそれでいいんじゃね。
まあ医療スタッフもボランティアらしいけど
本人がやりたいということでもそれが社会を悪化させるのであれば周りの人間が批判して止めさせる
ネット上で多く見られた批判意見は医療や配車サービスのような免許がいるものでもボランティアですませようとして正当な報酬を払おうとしていない点だろう。
それについて「やるきのない奴が口出しするな」みたいな反論もいくつかあったと思うが、これはあまりにも暴論がすぎる。
単なる観客の誘導や会場周辺のゴミ拾いならまだいい。だが医療や配車は人命や事故にかかわる。それすらも応募者の善意に頼り切るのはリスク管理の面で甘い。テロリストや私のような反乱分子が応募したら彼らはきちんと弾けるのだろうか。そんな悪意を持っているとしても「ボランティアをしたい」という人間をどうやって見分けるのか。
さらにいえば観客の誘導やゴミ拾いだって立派な仕事だ。見返りを求めずに奉仕する姿は一見美しい。だがその美しさを隠れ蓑にして人間の労働コストが安く見積もられるのは社会悪である。ただでさえ人件費は目の敵にされているこの日本社会で労働力のダンピングが加速するムーブメントが起こるのが怖い。
できるだけ安い金で馬車馬のように働く人間が欲しい。言っていることは奴隷社会の世界そのものではないか。
ブラック企業に勤めている友人を「自分とは関係ないから」といって放置するのが正しい態度か。本人が納得して満足しているなら他人は止める義理ははたして本当にないのだろうか。
個人の自由という言葉があまりにも大きくなりすぎている。