『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』を観て
久し振りにハマったアニメ
最終回を観た。
最終話はシュールな画が多く変な笑いがでるところもあったが、非常に感動的な締めくくりをみせてくれた。
私はこの10年近く各クールで10本前後アニメを観ている。そのなかでもここまで熱をもってハマったアニメは今までになかった。
最終話を観た後、私は速攻で舞台版のBDとアニメのBD-BOXを購入・予約した。
その一方で「よくわからなかった」という声もネット上でちらほら見かけたし、私自身理解ができていないところもあるかもしれない。
この心の昂りを整理するためにちょっと考察したいこともあるし。
あ、当然ネタバレを含みます。
アニメ、レビュースタァライトは「セカイ系」
セカイ系とは『新世紀エヴァンゲリオン』を代表に00年代を中心に評された概念である。明確な定義というのは難しいのでここでは以下のように定義しておこう。
・僕(主人公)と君(ヒロイン)とその周辺のみで展開される
・登場人物との関係性がそのまま世界の危機や問題と直結する
・世界の問題が起こる一方で主人公たちは日常生活を送っている
・主人公は世界の危機の解決とヒロインとの二択を迫られる
・主人公や登場人物たちの内面や心理描写が大きく影響する
僕(主人公)と君とその周辺のみで展開される
愛城華恋(僕)と神楽ひかり(君)を軸として、アニメの舞台は一貫して聖翔音楽学園で展開される。彼女らが生活する寮はもちろん、オーディションを行う舞台も学園の地下にあるため彼女たちの物語は学園内で展開されている。
登場人物との関係性がそのまま世界の危機や問題と直結する
99期生が行う舞台「スタァライト」のオーディションと並行するかたちで地下でのレヴューが行われている。現実の舞台ではメインキャストあるいは主人公に選ばれるために日々努力して競い合っている。地下レヴューも同様にトップを目指して戦っているライバル関係にある。
世界の問題が起こる一方で主人公たちは日常生活を送っている
全力でトップスタァをかけて戦う一方、普段の彼女たちの関係は非常に仲睦まじい。要は「それはそれ。これはこれ」
主人公は世界の危機の解決とヒロインとの二択を迫られる
ひかりは華蓮のキラめきを奪わないために自らのキラめきをさしだして幽閉されてしまう。ひかりを救うためにはなにか代償を支払わなければいけない。
主人公や登場人物たちの内面や心理描写が大きく影響する
レヴューの舞台は舞台少女がもつキラめきに呼応する。
しかしこれでは「セカイ系」と言い切るには根拠が弱い。通常「セカイ系」における世界とはまさしく地球規模の世界であって、自分たちのいる環境を=世界とするのはあまりにも範囲を拡大してしまう気がしている。
だが思い出してほしい。これは舞台少女の物語なのである。舞台少女にとっての世界とはまさしく舞台である。
舞台で起こること、舞台を構成するために起こることが世界そのものとなる。
だから華蓮がひかりを救い出すことによって、世界つまり舞台の結末は書き換えられたのである。
3次元的セカイ系
今作ではメタ的なセリフが散見された。
7話の最後で大場ななが視聴者に向かって語りかけるシーンがあったり、最終話ではキリンがガッツリ視聴者に向けてメッセージを送っている。
メタネタは安易に使えば火傷する。作品世界に没頭している視聴者を現実に引き戻してしまうからだ。
だが「舞台とは演者と観客がいて成立する」というようなメッセージが作中にある。このメッセージも実は「セカイ系」そのものを指している。
アニメを観ている側からするとこんな構図だろう。
舞台=世界
演者=君
観客=僕(視聴者)
通常アニメ内で完結するはずの「僕(主人公)と君(ヒロイン)」の世界が「僕(視聴者)と君(アニメ)」に拡張されて「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」という世界が構築されている。そう考えるとなかなか面白い。
アニメの演出は幾原的演出+舞台的演出がミックスされていることから、かなり人を選ぶ作品であることは明白である。そして私は見事にスタァライトされちゃった側の人間なので、当面は次の舞台にむけて新たなスタァライトをしつつ、少しでもスタァライトされる人間が増えるようにスタァライトしていきたい。(意味不