雑念記~徒然なるままに毒舌

日々自分が考えたり感じたりしたことを徒然なるままに記し、己の思考の履歴を残していく。

台風の日は家でじっとしていよう

JRは20時で運転見合わせ

今このブログを書いている現在、外は雨と風が強く本格的に台風が近づいているのがわかる。

この日JRは午後くらいに首都圏の在来線を運転を20時以降見合わせると発表した。

これは英断だと思う。

無理に電車を動かそうとすれば事故とか二次災害とか帰宅難民とか発生するかもしれない。「どうせ台風は東京にくるころには勢力が弱まって大したことない」と思っている人もいるかもしれないが、それは過去数十年こなかっただけであって次来る台風が強い勢力を保ったまま上陸する可能性だって当然ある。

 

何事にもリスクは最大値で見積もることが大切だ。

 

ましてや広島の水害なんかは「自分たちは大丈夫」という正常性バイアスから被害が発生している。特にここ近年の気象は過去の経験やデータが通用しない。いや、せいぜいここ数十年程度のデータをもって自然気象を把握したかのようになった気になっていただけだ。人類には自然気象をコントロールすることなんてできないのだ。

 

安全確保を最優先に

ここ最近、といっても1~2年くらいだがなんとなく台風に対する社会の備えの潮目が変わったように感じる。

台風の日は営業を停止したり早めに店を閉めるところが増えてきた。

これは明確にそうだというデータとかあるわけではなく、なんとなくの私の実感としての印象である。だがTSUTAYAとか服屋とか緊急性のないような店は営業時間を短縮します的なメールが台風の日には届くようになった。

これも良い傾向だと思う。

 

私は高校時代、回転寿司屋でバイトしていたことがあった。

シフトの日まさに台風が午後から夜にかけて直撃する日だった。だがその寿司屋はいつも通り営業した。普段よりあきらかに客は少なかった。

 

「なんでこんな天気のときでも店を開くのだろう」

そう思った。

 

それと同時にこうも思った。

「なんでこの客はこんな天気の悪い日にこんなクソみたいな寿司もどき食べにきてるんだろう」

 

台風がきてるのに回転寿司を食べにくる緊急性がどこにあるのか。そして台風の日に寿司をレーンに流す仕事にどれほどの価値があるのだろうか。

 

地震と違って台風は勢力も上陸時間もある程度予測できる。それに備えて動けるはずなのに動かないでのんきに寿司をレーンに流したり寿司を食べたりしている。あの日あの時あの店にいた連中は私を含めてみんな馬鹿だ。

 

店が閉まっていることに対してクレームをつける客は、そのお店を贔屓にはしているのかもしれないが、本質的には自分の都合――正確にいえば自分の欲望だけを考えているだけだ。そんな自分勝手なやつに食わせる寿司はねえ。大した寿司でもなかったけど。

 

安全確保は自分だけじゃない。社会全体に対して安全であることを最優先する心をもちたい。そう考えれば災害時に自分が強引に電車に乗って会社に行く必要が本当にあるのか、優先すべき人やことは他にあるんじゃないか、というふうに考えられるはずです。