雑念記~徒然なるままに毒舌

日々自分が考えたり感じたりしたことを徒然なるままに記し、己の思考の履歴を残していく。

少女☆歌劇 レヴュースタァライトにハマっている

舞台少女たちのキラめき

今、『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』にハマっている。

revuestarlight.com

 

本作の概要はwikipediaによると

「アニメ」と「ミュージカル」が相互にリンクし合い、展開していく新感覚ライブエンターテインメント(中略)本作はミュージカルが原作となり、またミュージカルの主要キャストがそのままアニメ版等での声優を担当するという形式を取っており、漫画やアニメ、ゲームを原作とし、基本的にアニメ版等での担当声優以外の舞台系俳優によって演じられる2.5次元ミュージカルとは異なる。主要キャストは舞台女優(一部声優兼任)の肩書きを持つ人物が中心となっている

 

ストーリーとしては「トップスタァ」を目指す少女たちが、劇中劇である戯曲「スタァライト」をモチーフにした「レヴュー」で、オーディションのトップを目指すという感じだ。

 

今回取り上げたいことは作画についてだ。
作画についてといっても、「作画が崩れている」や「作画がすごい」とかいった類の話ではない。
序盤と後半部のレヴューシーンの作画の意味合いについてだ。
なお、以降の話は今作を観ていることを前提として進める。

 

画で語る

1話~3話のレビューシーンはよく動いていた。3話の華恋×真矢にいたっては360°カメラみたいにグリグリ動かしていた。

 

だがストーリーの展開が大場ななの話に入ってからはレヴューのシーンは少し見せ方が変わったように思えた。ひかり×ばななのレヴューは非常に熱かったが、華恋×ばななのレヴューは3分程度だったし、華恋&ひかり×真矢&クロディーヌのレヴューはオーディション最終日というクライマックスのわりには止め絵も多かったように思う。

 

だがそれで「作画班死んだ」とか「作画手抜いた」とかいうのは早計だろう。
むしろスケジュールが詰まっていくアニメ制作の後半部で、仮に現場が疲弊していたとしても視聴者に効果的にアニメを見せるということが可能になる。私はそのように感じた。

 

昨今のアニメ制作数は(ここでは面倒なので具体的な数値は出さないが)非常に多い。ゆえにアニメ制作側はいかにして視聴者の心を掴むかが重要になる。性質上、どうしても後半にかけて尻上がりに面白くなっていく作品もあるが、3話切りや1話切りといったこともあるため序盤でいかに、視聴者に「このアニメ面白そう」「この後どうなるんだろう」と思わせることも重要である。

 

今作でいえば実は1話、2話を観た時点ではわけがわからなかった。「オーディションってなに?」「レヴューって何?」「キリンって何?」みたいな感じである。(あくまで今作における用語の意味合いで)


だがそれでも私が見続けていたのは、「この物語はどんな着地をするのだろう」という今後の関心と期待をもてた点と、レヴューシーンの良さである。


「なんかよくわかんねえけどレヴューのシーンはいいな(好き)」


物語やキャラがわからないうちは派手な作画で目をひくのも有効な手段なわけだ。

そして物語が進むにつれ、オーディションとは、レヴューとは何かといったあたりのことやキャラクターがもつ特徴や悩みが徐々に明かされていく。
そこまでくれば今作における「レヴュー」のバトルは、単に闘っているというわけではなく「舞台少女」としての「キラめき」のメタファーだということが視聴者に伝わっている。ここまでくればもう派手にグリグリ作画を動かす必要はない。真矢クロがいっていたように「次に相手が何をするかわかる」くらい視聴者に舞台装置としての「レヴュー」の意味がわかるようになっているからだ。

 

序盤に具体的な映像を「魅せる」ことによって、例え目をひくような映像でなくなったとしても視聴者が演出として理解し咀嚼できるまでに、制作側が視聴者を育てたのだ。

 

面白いものをどうやって発掘するか

面白いものに出逢うことはとても楽しいし、面白いものを見つけたときは自分が誇らしくなるだろう。
その意味ではとりあえず全部の1話を観て、それから何を観るか判定していくことは何もおかしなことはなく、むしろ誠実的な態度だろう。
私のような「これ面白そう」と1話を観る物から絞り込んでいくスタイル(0話切り)は、博打うちの態度だ。

 

どちらが良いか悪いかではなく、今回たまたま私の勘が当たったというだけのことだ。

 

さて今夜は第11話。真矢クロミッドナイトレヴューもあることだし楽しみ。