雑念記~徒然なるままに毒舌

日々自分が考えたり感じたりしたことを徒然なるままに記し、己の思考の履歴を残していく。

池袋暴走事故から主張したい~日本という国は人治主義的

 

逮捕は警察のさじ加減ひとつ

2019年4月19日。池袋にてある交通事故が発生した。

87歳の男性が運転していた車が暴走し、歩行者10人ほどをはねたとのこと。そのうち31歳の女性と3歳の女児が亡くなられた。親子だったという。運転手は「アクセルが戻らなくなった」と証言した。

 

これだけ聞けばまたボケた高齢者がアクセルとブレーキを踏み間違えたのだろうか…というだけの事件として流れていったのだろう。

だがこの高齢ドライバーが何者かわかると事態は思いがけない方向へ舵を切った。

 

www.asahi.com

blog.livedoor.jp

 

運転していた飯塚幸三さんは元官僚で瑞宝重光章なる勲章も受賞されているほどのエリート…上級国民であったことが判明。

警察は今回の事故について任意で捜査を進めていくつもりのようだ。

 

 

ではここでほぼ同時期に起きた自動車事故のいくつかの報道をみてみよう。

www.jiji.com

 

www.asahi.com

 

違いにお気づきだろうか?

後者2件はその場で運転手が逮捕されているのに対し、池袋暴走の飯塚幸三さんは逮捕されていない。

 

これは池袋で車を暴走して人をはねた飯塚幸三さんが事故後に怪我をしていたからという理由と逃亡や証拠隠滅等のおそれがないかららしい。

mainichi.jp

 

ふーん(笑)

 

なお池袋で車を暴走して歩行者10名余りをはねた飯塚幸三さんは退院後も逮捕されないそうです。

ふーん(笑)

 

当然世論ではなんで池袋で車を暴走して歩行者10名余りをはね、母子2名の命を奪った飯塚幸三さんが逮捕されないのかと炎上したらしいですね。まっとうな批判だと思います。

でも今回の事故で飯塚幸三さんが逮捕されなかったことで、日本という国は事実上人治主義であるということがはっきりと世間に伝わるきっかけになったのではという期待も不謹慎ながらあります。

なぜ日本が人治主義なのか。難しいことは言いません。シンプルな理屈です。

 

 

現在の法律運用は人治主義的

 

 

例えば故意による殺人罪は以下のように規定されている。

人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。

 

これだけである。

法を厳格に適用するのであれば被告Aは死刑か無期懲役か5年以上の懲役刑のいずれかがくだる。

だが現実には殺人罪であっても執行猶予がつくケースは存在する。

news.nicovideo.jp

 

執行猶予がつく条件は「3年以下の懲役」であるため、殺人罪で裁かれる場合は執行猶予など絶対につくはずがない。

だが現実に殺人罪であっても執行猶予がつくケースはいくつか存在する。いわゆる情状酌量の余地というやつだ。

 

 

だが情状酌量の余地があるかというのはきわめて主観的でないだろうか。判決を出す人間が被告に同情すれば量刑が軽くなったり、思想や考え方で判決そのものがひっくり返るというリスクが常につきまとう。裁判官や裁判員がもつ心象や解釈が裁判の結果というものを不安定なものにしている。これは判決に不服があれば控訴すればいいというものではない。控訴してもまたダメな裁判官にあたれば意味がないからだ。

 

近代法における最大の弱点は罪に対する量刑を具体化できなかった点にある。

 

指針としてあるのは過去の判例である。その判例が適切なものであったのか。そういった検証はされることなくただ判例としてゾンビのように生き残る。

過去の判例を理由に適切な量刑を与えられなかった事件、裁判官の気持ちひとつで量刑が変わるリスク。それらのコストを裁判というかたちで国民全員が負担しているということに気付くべきだ。

 

どんな理由があろうと殺人罪なら無期懲役、窃盗なら懲役3年、詐欺なら懲役10年など杓子定規に量刑を決めてしまうほうが混乱はなかっただろう。

 

最後に整理しよう。

要するに人の思惑や解釈が入り込む以上、平等・公平な法律運用はできないということだ。

 

池袋の事故の話題に戻ろう。

逮捕の必要性に関する法律は以下である。

逮捕状の請求を受けた裁判官は、逮捕の理由があると認める場合においても、被疑者の年齢及び境遇並びに犯罪の軽重及び態様その他諸般の事情に照らし、被疑者が逃亡する虞がなく、かつ、罪証を隠滅する虞がない等明らかに逮捕の必要がないと認めるときは、逮捕状の請求を却下しなければならない。

 

「明らかに」とはどういう意味なのだろうか。いったい何をもって被疑者が逃亡も証拠隠滅もはからないと判断するのだろうか。しかもその判断を下すのは裁判官という「人」である。この裁判官が職務をまっとうするという保証は?

 

そもそも池袋の暴走事故の問題は警察が逮捕状を請求しようともしていないことだ。なぜこれほどまでの事件で逮捕状請求の動きが一切ないのか。逮捕状を請求するという判断を下すのはいったいどこの誰なのか。

 

都合のいいように法律を運用している。

これを人治主義といわずして他に何と呼べばいい。