サマータイム導入とかいうお騒がせ
「五輪まで」のサマータイム導入はあきらめ
世間をにわかに騒がせていた東京オリンピックの猛暑対策としてのサマータイム導入論。
各方面(主にIT業界で働いているSE)からの大反対もあってか?、先日無事にサマータイムの導入が見送られることとなった。
ただまあ、気をつけないといけないのはあくまで「オリンピックには間に合わねえ」ということで諦めただけであって、またゾンビのようにこの話題がいずれ出てくるでしょう。
野党のみなさん、「サマータイムは絶対に導入しない」と公約を掲げればだいぶ票とれますよ。
東京都にいるこの人なんかもこうおっしゃてることですし。
失敗したことを繰り返すだけなら挑戦とは言わない
日本でもサマータイムを導入していた時期がある。1948年~1952年頃のことだそうだ。そのときも残業増加や寝不足による体調不良が報告され、わずか数年で廃止となった。
当時とは比べ物にならないほど個人・企業の活動の場がグローバルになり、コンピュータが浸透された現代でサマータイム導入がうまくいくと思っているなら本気で頭がわいている。
いったいどんな公算があってサマータイムがうまくいくと思っているのか。そもそもサマータイム導入に積極的なのが経団連であり、かつて失敗した理由が残業増加ということと昨今の働き方改革(この言葉書くだけでもキーボードブン投げたくなる)とあわせて考えれば、いったいどんな社会になるかは想像にたやすい。
全体的にみんな的外れ
とはいえ残業時間増加とか健康上の問題などというのは結果論である。サマータイム導入是非とは関連はあるが、議論のポイントとしては的外れ感が否めない。
そもそものサマータイムの目的は日の出ている時間に活動しようというものだ。つまりは「太陽が昇ったら起きて太陽が沈んだら寝る」生活にしようというものだと私は認識している。
多分推進派にしても反対派にしてもこの認識がすっぽり抜け落ちて現実に予想されるメリット・デメリットだけが話題になっている気がしてならなかった。
上記の認識をもとにすればサマータイム自体の考えは生物学的にいいと思う。だがそれならば日照時間が減る冬は冬で「ウィンタータイム」を導入すべきだ。実際イタリアやドイツでは冬はいくつかの店や博物館などは営業時間が大幅に減り、夏は17時くらいまで開いている施設が冬だと15時くらいに閉まるとかざらにあった。
ちなみに東京の冬至なんかは日の入りが16時30分くらいだ。
深夜営業なんかもできるだけ禁止して「太陽が昇ったら起きて太陽が沈んだら寝る」生活を日本国民全体で徹底できるか、問うべきはそこなのではないか。
海外に住んでたりシステムをつくらない(つくることができない)奴の意見なんか聞く必要はない
サマータイム導入論のなかでちらほら見かけたのが、大学教授とかコンサルタントとかシンクタンク研究員だとかのいわゆる識者(笑)が書いた記事である。
ちょうどこのブログ書くときに調べてみたら面白い記事を見つけた。
「おお」と思って読んでみるとしょっぱなから出鼻をくじかれた。
欧米で暮らして思うことは、夜遅くまで明るいということである。北のノルウェーから南のスペインまで広がるEUであるが、筆者の住む南フランスでは、
日本に住んでねえ奴が日本の生活にかかわる問題を語るとか(嘲笑)
この時点で読む価値なしだと思ったがネタのために読み進めてみる。
標準時そのものの変更や、議論のポイントが的外れという点にはうなづける点もあったが、最後に見事なオチをつけてくれた。
今回の日本のサマータイム導入議論では、システム変更による不具合の問題が大きく取り上げられている。合理的であるが非効率な社会であるフランスにいて思うことは、これがもしフランスであれば、サマータイム導入によるシステム障害は想定されるものとして、リスクをゼロにするための膨大なコストをかけるよりは、それは仕方ないと受容し目くじらを立てないであろう。地下鉄の改修で1カ月全線を止める社会である。そのほうが、改修する以上は合理的である。一方の日本人は、現実性を無視して、何事も完璧でないといやなのである。確かにシステム変更がないほうが効率的だが、そのために大きな変革をしないのは非合理であろう。
システムつくらねえ奴(国際日本学部教授)がシステム変更を語るとか (爆笑)
システム変更への懸念は、コンピュータによるオンラインでの取引があるシステムから各個人がもつローカルな機器まで含めた全機種が対象となるため、日本中のシステム全体が1か月といわず数年使えなくなってもかまわないというのだろうか。
あ、この筆者フランス在住なんだっけ。
システム改修の課題は立命館大学情報理工学部の上原教授が早々に公言してくれている。
まあその意味でいえば先の記事内であった「標準時そのものを変更する」というのはまだ一考の余地がありそうだ。