雑念記~徒然なるままに毒舌

日々自分が考えたり感じたりしたことを徒然なるままに記し、己の思考の履歴を残していく。

少数派は責められる存在か ~その2

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worldly.hatenadiary.jp

  

多数決が民主主義であるという間違い

 多数派がもっとも暴力的な牙をむくときは選挙である。

いわずもがな選挙はより多くの票を得たものが勝つシステムだ。

選挙だけでなく何か物事を決めるときにもどちらの方が良いか決めるときに多数決をわれわれは採用している。

あまりにもわれわれは多数決を採用する場面が多すぎて、いつの間にか民主主義=多数決みたいな認識をもってしまいがちであるが、それは明確に違う。

 

詳しいブログを見つけたので以下にリンクを張り付けておこう。

「民主主義=多数決」じゃないよという話 - 雪見、月見、花見。

 

現実に満場一致で物事を決めるのは難しい、というか無理なので多数決というシステムをもって物事を決めることは仕方がない面もある。

だがそれは決して白紙委任状を与えたわけではない。その結果が正しいと認められたわけではない。

 

先日安倍首相の3選が決まった。もちろんやるからには期待しているが、支持しているとは限らない。

www.nhk.or.jp

自民党の支持率が35.8%なのに対して支持政党なしは43%である。

多数派の結果が正しいというなら政権を担うだけの政党は日本に存在しないということではないか。

 

そして無視される少数派

多数決で物事が決まると少数意見は無視される。建前上は貴重な意見としてうんたらかんたらするが、たいてい配慮されない。

 

それはもはや敗者の意見だから。

 

最近は「ノイジーマイノリティ」や弱者を優先すべきだという風潮もあるが、いずれ揺り戻しがくるだろう。これについてはもう少し整理できたら書こうと思う。

 

少なくとも多数決をあたかも民主主義の最終手段としている以上、ここらへんの問題は解消されないだろう。

 

皮肉なのは「多数決だけで物事を決めるのはおかしい」と声をあげても、実態としてはその意見に賛同する者が多くならないと改革は生まれないということだ。

つまり「多数決だけで物事を決めるのはおかしい」という意見が多数派になったとき。そこに大きな矛盾をはらんでしまうことになる。

 

私はamazarashiが好きなのだが、彼らの曲に「多数決」という曲がある。

www.youtube.com

 

多数決システムを批判しながら、最後はこう歌い上げる。 

賛成か 反対か 是非を問う 挙手を願う